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尾上榮三郎 (8代目) : ウィキペディア日本語版 | 尾上榮三郎 (8代目)[はちだいめ おのえ えいざぶろう]
八代目 尾上榮三郎(はちだいめ おのえ えいざぶろう、1924年(大正13年) - 1945年(昭和20年)12月10日)は歌舞伎役者。屋号は音羽屋、定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四ツ輪。本名は寺島 禧一(てらしま きいち)。 ==来歴・人物== 1924年(大正33年)、東京都に生まれた。父は七代目尾上榮三郎。叔父に尾上泰次郎がいる。 父とは2歳で死別。臨終の際には、父から後を頼むと言われた〔今昔芝居暦 大正13~15年(昭和元年) まるの部屋HP〕。1929年(昭和4年)6月に帝国劇場にて八代目尾上榮三郎を襲名した。 数々の舞台に立ち、将来を期待されていたが、戦争の激化が彼の運命を決めつけてしまった。日中戦争に従軍し、終戦時には中国にいて国共内戦に従軍していたが、1945年12月10日に中国大陸で戦病死した。21歳の若さだった。 父,叔父,そして自身と立て続けに20代で夭折した〔他に、四代目尾上榮三郎(幕末期に活躍)も1858年に29歳の若さで死去している。〕ことにより、尾上榮三郎の名跡は止め名となってしまい、戦後誰一人として、この名跡を襲名した者はいない。
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